会津若松駅~七日町界隈

会津若松駅

 福島県の郡山から新潟県新潟市までを結ぶJR磐越西線と、ここ会津若松から新潟県魚沼市までを結ぶJR只見線の主要駅である会津若松駅。和風のオシャレな駅舎で、駅前では会津地方の郷土玩具・赤べこが降車した人々を出迎えます。会津若松は戊辰戦争時の悲しいエピソードのイメージが強いです。

会津若松駅
会津若松駅

白虎隊士の像

 また駅前には戊辰戦争時の会津若松の象徴とも言える白虎隊士の像も。

 白虎隊士の像
白虎隊士の像

あいづっこ宣言

 会津若松の街中には「あいづっこ宣言」が書かれた看板をよく目にします。

 この「あいづっこ宣言」は、かつて会津藩の子供たちが教えられていた「什の掟」をもとに作られたものだそうです。「ならぬことはならぬものです」。その内容は会津の子供の教育のため現代にまで受け継がれているようです。

あいづっこ宣言
あいづっこ宣言

七日町駅

 JR只見線の会津若松駅の次の駅である七日町駅。こちらは会津若松駅とはうって変わって洋風な外観の駅舎です。

 観光名所である会津若松城や野口英世青春通りは、実は会津若松駅よりこの七日町駅からの方が近いです。

 ちなみにこの界隈の地名は「なのかまち」ですが、駅名はなぜか「なぬかまち」駅と読むそうです。

七日町駅
七日町駅

阿弥陀寺

 七日町駅のすぐ近くに、阿弥陀寺という寺があります。ここには戊辰戦争の戦死者が埋葬されており、また新選組の剣客であった斎藤一の墓もあります。またかつて会津若松城内にあった御三階という建物もこの境内に移築されています。

 阿弥陀寺
阿弥陀寺

斎藤一の墓

 阿弥陀寺の境内にある斎藤一の墓。

斎藤一の墓
斎藤一の墓

会津新選組記念館

 阿弥陀寺から七日町通りを東へ200ⅿほどいった交差点には、会津新選組記念館があります。蔵風の建物で、屋根と外壁の色が会津若松城に合わされています。

会津新選組記念館
会津新選組記念館

清水屋旅館跡

 会津新選組記念館から七日町通りを更に東に500ⅿほど行くと、清水屋旅館跡という碑があります。

 幕末、ここに清水屋という旅館があり、かつて東北を旅していた吉田松陰、また戊辰戦争で傷を負った新選組副隊長・土方歳三が、ここに宿泊したそうです。

清水屋旅館跡
清水屋旅館跡

白木屋資料館

 清水屋旅館跡近くの七日町通り沿いにはレトロな建物がいくつか並んでいます。こちらの洋風の建物は白木屋資料館で、白木屋というのはこの会津での老舗の漆器店だそうです。

 白木屋資料館
白木屋資料館

滝谷建設工業(株)会津若松店

 白木屋資料館の横にある滝谷建設工業(株)の会津若松店。神殿風のコリント様式が見事なこの建物は東京の明治生命館や大阪の中央公会堂の設計で有名な岡田信一郎の作品で、もともと銀行の建物として建てられたそうですが、後に今の地元の企業である滝谷建設工業のものになったそうです。

滝谷建設工業(株)会津若松店
滝谷建設工業(株)会津若松店

大正館

 七日町通りと野口英世青春通りの交差点にある大正館。こちらはその名のとおり大正期に建てられた建物で、かつては銀行でしたが、今はカフェとなっているようです。

大正館
大正館

西軍墓地

 七日町通りの清水屋旅館跡界隈から北へ400ⅿほど行ったところに、西軍墓地があります。こちらはその名のとおり戊辰戦争時に亡くなった西軍、つまり新政府軍の墓地のようです。

西軍墓地
西軍墓地

野口英世青春通り

 大正館から南に延びている野口英世青春通り。野口英世は福島県猪苗代町出身の医者で、今となっては千円札の肖像画の人物として有名ですが、彼が幼少期に左手に大火傷を負った際に治療した病院がこの通りにあるそうです。

野口英世青春通り
野口英世青春通り

 野口英世青春館(旧開陽医院跡)

  大正館から野口英世青春通り沿いに南に100ⅿほど行ったところにある野口英世青春館。ここがかつて幼少期の野口英世の火傷の治療を行った開陽医院跡だそうで、今は1階が喫茶店、2階が野口英世に関する資料館になっています。

 野口英世青春館(旧開陽医院跡)
野口英世青春館(旧開陽医院跡)

福西本店

 野口英世青春館の横にある福西本店。こちらは会津地方の豪商・福西家の蔵と商家で、黒い剛健な蔵造りの外観が印象的です。

福西本店
福西本店

野口英世博士像

 福西本店から南に更に100ⅿほど行った野口英世青春広場にある野口英世博士像。白衣を着た堂々たる姿で、台座には「忍耐」と刻まれています。

野口英世博士像
野口英世博士像

興徳寺

 野口英世青春広場から東へ200ⅿほど行ったところに興徳寺という寺があり、そこには戦国武将・蒲生氏郷公の墓があります。

 蒲生氏郷は織田信長・豊臣秀吉に仕えた近江出身の武将で、秀吉によりここ会津若松に移封され、当時この地を治めていた芦名氏の跡を継ぎ、会津若松城の城主となりました。

 蒲生氏郷公墳墓
蒲生氏郷公墳墓

若松城 甲賀町口郭門跡

 興徳寺から東に更に200ⅿほど行くと、大きな石垣があります。これは外郭に築かれた会津若松城の門跡の1つで、戊辰戦争時には新政府軍がここを突破し、会津若松城に攻め入りました。

 若松城 甲賀町口郭門跡
若松城 甲賀町口郭門跡

中野竹子像

 七日町駅から七日町通りを城方面とは逆の北西へ1.5kmほど行ったところにちょっとした広場があり、そこに中野竹子という女性の銅像があります。

 中野竹子は戊辰戦争時に旧政府軍の婦女隊の一員として新政府軍と勇ましく戦いましたが、この地で戦死したそうです。

中野竹子像
中野竹子像

中野竹子殉節碑

 銅像の近くにある中野竹子殉節之地碑。中野竹子は2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・山本八重とも交流があったそうです。

中野竹子殉節碑
中野竹子殉節碑

新選組殉難の地碑

 中野竹子像から西へ1.3kmほど行ったところに如来堂というお堂があり、そこに「新選組殉難の地碑」というのが立っています。

 戊辰戦争時、新選組も旧政府軍の一員としてここ会津まで転戦、既に隊長・近藤勇はいませんでしたが、ここから更に北へ向かう副長・土方歳三らの一派と、ここ会津に留まることとした斎藤一らの一派に分かれ、斎藤一らはこの地に陣を構え、新政府軍と激戦を繰り広げたそうです。

新選組殉難の地碑
新選組殉難の地碑