松陰神社界隈

品川弥二郎誕生地

 井上勝旧宅跡から東へ行き松本大橋を渡ってすぐ右にある小さな公園に、「品川弥二郎誕生地」と書かれた碑が立っています。

 品川弥二郎も松下村塾出身で維新後は信用組合法や農村振興に関する制度等を整備し、「殖産興業の神」と呼ばれているそうですが、誕生地の碑は他の長州藩士に比べやや地味目です;

品川弥二郎誕生地
品川弥二郎誕生地

松陰神社

 品川弥二郎誕生地から更に東へ400mほど行くと、伝説の松下村塾が保存された松陰神社があります。

吉田稔麿誕生地

 松陰神社のすぐ南側の道路沿いに、吉田稔麿(としまろ)誕生地の碑があります。

 吉田稔麿も松下村塾出身の志士ですが、新選組と戦った1864年の京都の池田屋事件で24歳の若さで死去したそうです。

 ちなみに松陰と同じ「吉田」姓ですが、松陰と血のつながりがある訳ではないそうです。

吉田稔麿誕生地
吉田稔麿誕生地

伊藤博文旧宅

 吉田稔麿誕生地碑から東へ100mほど行き角を南に行き少し歩いたところに、初代内閣総理大臣である伊藤博文の旧宅があり、その隣に伊藤博文別邸があります。

 伊藤博文は山口県生まれですがこの界隈で出生した訳ではなく、今の山口県光市のあたりで誕生し、少年期の頃に父の都合でこの地に引っ越してきたそうです。

 その後は他の長州の志士に漏れず松下村塾に学んで攘夷活動に参加し、明治後は初代を含め4回の内閣総理大臣を務め、日露戦争後には初代韓国総監にもなりましたが、1909年、満州のハルビンで安重根に狙撃され、69歳で死去しました。

伊藤博文旧宅
伊藤博文旧宅

伊藤博文像

 旧宅の庭にある伊藤博文の銅像。台座は立派ですが銅像自体は小さくてちょっとかわいいです(笑)

伊藤博文像
伊藤博文像

玉木文之進旧宅・松下村塾発祥の地

 吉田稔麿誕生地から東に400mほど行ったところに、玉木文之進の旧宅があります。

 玉木文之進は松陰の叔父で、松陰が松下村塾を開く15年前にこの家で松下村塾を開き、それ故「松下村塾発祥の地」碑も立っています。

玉木文之進旧宅・松下村塾発祥の地
玉木文之進旧宅・松下村塾発祥の地

吉田松陰誕生地・墓所

 玉木文之進旧宅から南東へ300mほど行ったところに、吉田松陰誕生地と松陰や高杉晋作らの墓所があります。

顕義園

 松陰誕生地から北へ800mほど行ったところに、「顕義園」という広場があります。

 ここは山田顕義の誕生地で、山田顕義も松下村塾を出た後戊辰戦争などにも参加し、維新後は司法大臣を務め、また日本大学の前身となる日本法律学校の創設などにも尽力しました。

顕義園
顕義園

山田顕義先生の像

 顕義園の中にある山田顕義先生の銅像。木々の新緑と同じ緑色をしています。

山田顕義先生の像
山田顕義先生の像