江向~橋本町界隈

 JR萩駅から北へ1kmほどのところにある橋を渡るといよいよ萩市の中心部に入ってきます。

 萩と言えばまず幕末に活躍した長州藩士の生まれ故郷というイメージが強いですが、実は街並みも風情があり、昔の城下町の名残がそこかしこに見られます。

山県有朋誕生地

 萩駅から来て橋下橋を渡って東に行くと、山県有朋誕生地があります。

 山県有朋は松下村塾出身で奇兵隊にも入隊して幕末尊王攘夷に奔走し、明治後は2回の内閣総理大臣を始め、内務大臣や枢密院議長などの要職を歴任しました。

山県有朋誕生地
山県有朋誕生地

渡辺蒿蔵旧宅

 また萩駅から橋本橋を渡って山県有朋誕生地と反対側にちょっと行くと、渡辺蒿蔵旧宅があります。

 この渡辺蒿蔵という人は別名「天野清三郎」という人で、松下村塾を出たあと奇兵隊にも入隊し攘夷運動に奔走、維新後は米英に留学して工部省に入り、日本の造船事業に尽力したそうです。

渡辺蒿蔵旧宅
渡辺蒿蔵旧宅

明倫館(明倫小学校)

 橋本橋から北西へ1㎞ほどのところにある萩市役所の前に歴史がありそうな立派な小学校があります。この小学校は明倫小学校といい、江戸時代にあった明倫館という学校の跡地にあるそうです。

 明倫館は長州藩が造った藩校で、出身者には吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、乃木希典など、長州藩を代表する錚々たる人物がいるそうです。

明倫館(明倫小学校)
明倫館(明倫小学校)

山県有朋像

 明倫小学校の西にある中央公園に立つ山県有朋の騎馬像。山県有朋は政治家であるとともに戊辰戦争や西南戦争、日清戦争にも参戦しており、陸軍の礎を築き「国軍の父」とも呼ばれています。

山県有朋像
山県有朋像

久坂玄瑞誕生地

 山県有朋像から191号線の北浦街道を南西に500mほど行って南に入ったところに、久坂玄瑞の誕生地があります。

 久坂玄瑞は松下村塾出身で医師でありながら高杉晋作や桂小五郎らと尊王攘夷運動に参加するも、旧幕府軍と長州藩が激突した1864年の蛤御門の変(禁門の変)により、25歳の若さで自害しました。ちなみに久坂玄瑞の奥さんはNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公にもなった吉田松陰の娘・文だそうです。

久坂玄瑞誕生地
久坂玄瑞誕生地

村田清風別宅跡

 久坂玄瑞誕生地から北へ200mほど行ったところに、村田清風別宅跡があります。

 幕末から明治期にかけて活躍した長州藩士の史跡が多い萩界隈において、この村田清風という人物は江戸中期に活躍しただそうで、当時の長州藩主であった毛利敬親のもとで財政再建などの藩政改革を行い、幕末に躍動する長州藩の骨格を築いた人物だそうです。

村田清風別宅跡
村田清風別宅跡

旧田中義一別邸

 久坂玄瑞誕生地から南西へ400mほど行ったところに、旧田中義一別邸があります。

 田中義一は明治期に活躍した政治家で、内閣総理大臣や外務大臣、陸軍大臣を歴任しました。

旧田中義一別邸
旧田中義一別邸

 旧田中義一別邸の前にあるかんきつ公園。萩名物のみかんがたくさん実って風情がありますが、とって食べていいのかはよく分かりません;

井上勝旧宅跡

 明倫小学校から東へ1kmほど行ったところに井上勝旧宅跡があります。

 井上勝は明治期に鉄道の東海道線の敷設に尽力し、鉄道庁長官を務めるなど「日本の鉄道の父」と呼ばれた人物で、萩駅の他東京駅前にも井上勝の銅像があります。

井上勝旧宅跡
井上勝旧宅跡

桂太郎旧宅

 山県有朋誕生地から南東へ800mほど行ったところに、桂太郎旧宅があります。

 桂太郎は内閣総理大臣3度、陸軍大臣4度、第2代台湾総督を務めた人物だそうです。家はこじんまりとしているも庭園もあり立派です。

桂太郎旧宅
桂太郎旧宅

 桂太郎旧宅の庭にある桂太郎の銅像。静かに何か読んでいます。しかし萩市は当時は藩閥政治だったとはいえ、この狭い地区から何人大物政治家を輩出してんだって感じです。

 桂太郎旧宅の界隈。この辺りも城下町の風情が残っており、堀には鯉が泳いでいて趣があります。