地下鉄御堂筋線心斎橋駅界隈の御堂筋。高級ブランド店が並んでいます。
こちらも御堂筋の心斎橋駅近くにある大丸心斎橋店。この建物は主に関西に多くの作品を残しているアメリカ人の建築家・ヴォーリスにより1933年に建てられました。現在は建て替えが進んでおり、今後は大丸心斎橋店の南館として営業していくようです。
大丸心斎橋店の入口。百貨店の威厳と重厚感があり、東京の名立たる百貨店にも負けていません。
こちらは大丸心斎橋店南館のの北側にある北館。この近代的なデザインの建物はもともと2005年にリニューアルしたそごう心斎橋店でしたが、2009年に閉店となり、その後大丸が買収、建物をそのまま活用して北館として営業が開始されました。
御堂筋の東側を南北に貫いている心斎橋筋商店街。大阪市北区にある日本一長いと言われている天神橋筋商店街ほどではないですが、この心斎橋筋商店街もそこそこ長く、ここから南の方にある戎橋に近づくにつれどんどん人が多くなっていきます(笑)
大丸心斎橋店から東に800ⅿほど行ったところに三井住友銀行第一事務センターというのがあり、その敷地内に住友銅吹所跡があります。
住友家は関西の財閥で、江戸時代はここで銅を生産しており、その後は住友家の居宅があったそうです。
住友銅吹所跡から南東に200ⅿほど、高速道路をくぐり川を渡った松屋町筋沿いに、「新選組の石蔵屋襲撃事件之跡」と書かれた説明版があります。
石蔵屋というのは幕末にあったぜんざい屋だそうで、当時土佐藩を脱藩した志士・大利鼎吉(おおりていきち)らがここに潜伏して大坂城乗っ取りを計画していたところを、新選組が襲撃したそうです。
説明版の前に立っている大利鼎吉遭難の地碑。大利鼎吉はここで新選組に襲われ、24歳の若さでこの世を去りました。
住友銅吹所跡から南西へ300ⅿほど行ったところに、心学明誠舎跡と書かれた碑があります。
「心学」とは江戸時代の京都の思想家・石田梅岩が唱えた学問で、江戸時代その心学を講義するための学舎がここにあり、人気を集めていたそうです。
大丸心斎橋店から南西へ300ⅿほど行った界隈はアメリカ村と呼ばれ、若者向けのショップなどが多く並んでいます。
ちなみにアメリカ村というのは1970年代にアメリカ西海岸で仕入れた中古レコードや雑貨などが販売され始め、その後百貨店で開かれた「アメリカ村夏の陣」というイベントからその名が付いたそうです。