幕末にペリーが来航した際、日米和親条約交渉のため、宝福寺には下田奉行所が置かれました。またその後、土佐藩の坂本龍馬が脱藩した際、ここ宝福寺において勝海舟が土佐藩主・山内容堂に龍馬の脱藩の罪の許しを乞い、龍馬はその罪を許されました。
またその隣には「唐人お吉記念館」があります。「唐人お吉」は、幕末、来日したハリスの妾となり悲しい人生を送った斎藤吉という人のことであり、そのお吉についての紹介がされています。
宝福寺の入口には「坂本龍馬飛翔之地」「山内容堂 勝海舟謁見之寺」と書かれた碑があります。ここで山内容堂と勝海舟が話して龍馬脱藩の罪が許されたことから、この寺は龍馬の飛翔の地とされたようです。
同じく入口付近にある坂本龍馬像。珍しく木彫りです。「龍馬 風の夢」と書かれています。
宝福寺の本堂。「幕末 下田奉行所跡」と書かれています。