松山市駅~松山駅界隈

伊予鉄松山市駅

 愛媛県の県庁所在地である松山市の中心部には松山市駅と松山駅の2つの駅がちょっと離れた場所にあります。

 こちらは松山市駅。松山市駅は伊予鉄の中心駅で、高島屋と直結しており、屋上には観覧車があります。

坊っちゃん列車

 街中には松山市駅から発車する伊予鉄のオレンジ色の路面電車が徘徊していますが、その中にたまに「マッチ箱のような」SL型のかわいい路面電車、通称「坊っちゃん列車」が走っています。これは夏目漱石の松山を舞台とした小説「坊っちゃん」に出てくる路面電車をイメージしたものらしいです。

坊っちゃん列車
坊っちゃん列車

正岡子規誕生邸跡

 松山市駅から北へ150mほど行ったところに、正岡子規誕生邸跡の碑があります。

 明治時代の俳人・正岡子規は幕末の1867年にこの地で生まれ、その後東大進学などにより東京などに移り住みますが、松山時代に後に日露戦争で活躍する秋山好古・真之兄弟とも親交を深めます。

正岡子規誕生邸跡
正岡子規誕生邸跡

法龍寺(正岡家墓地跡)

 松山市駅から東に100mほど行ったところに法龍寺という寺があります。ここはもともと正岡子規の家族の正岡家の菩提寺であり、かつては正岡家の墓があったそうです。

法龍寺(正岡家墓地跡)
法龍寺(正岡家墓地跡)

子規堂

 また松山市駅から南に100mほど行くと、正岡子規ゆかりの子規堂があります。

川島碧梧桐誕生地

 松山市駅から北東へ300mほど行ったところに、川島碧梧桐誕生地の説明版が立っています。

 川島碧梧桐は明治~昭和期の俳人で、ここ松山で正岡子規の弟子となり俳句を学んだそうです。

川島碧梧桐誕生地
川島碧梧桐誕生地

正岡子規旧邸跡

 法龍寺から中ノ川通りを東へ300mほど行った中央分離帯に、正岡子規旧邸跡と書かれた碑があります。

 ここは子規が2歳から17歳で上京するまで住んでいた家があった場所だそうで、その碑の横には「くれなゐの梅散るなへに故郷につくしつみにし春し思ほゆ」と書かれた子規の歌碑が立っています。

正岡子規旧邸跡
正岡子規旧邸跡

俳誌「ほととぎす」創刊の地碑

 正岡子規邸跡から中ノ川通りを更に東に300mほど行ったところに、俳誌「ほととぎす」創刊の地碑があります。

 正岡子規や高浜虚子らの俳句を掲載し、やがて全国に発刊されるようになった俳誌「ほととぎす」が、1897年にここで創刊されたそうです。

俳誌「ほととぎす」創刊の地碑
俳誌「ほととぎす」創刊の地碑

愚陀仏庵跡

 川島碧梧桐誕生地から北東へ500mほど行ったところに、愚陀仏庵跡の碑があります。

 愚陀仏庵は1895年に夏目漱石が松山中学校に英語教師として赴任した際に下宿していた住居のことで、一時期日清戦争の従軍記者から松山に帰ってきた正岡子規もここに一緒に住んでいたそうです。

愚陀仏庵跡
愚陀仏庵跡

高浜虚子住居跡

 愚陀仏庵跡から東に400mほど行ったところに、高浜虚子住居跡の説明版があります。

 高浜虚子も1874年に生まれた俳人で、川島碧梧桐とともに正岡子規の下で俳句を学びました。

高浜虚子住居跡
高浜虚子住居跡

JR松山駅

 松山市駅から北西へ1㎞ほど行ったところに、JR松山駅があります。

正岡子規句碑

 JR松山駅前にある正岡子規の歌碑。碑には子規の地元であるここ松山を歌った句「春や昔十五万石の城下哉」と書かれています。