宮崎と北九州を結ぶ日豊本線の駅である中津駅は、大分市中心部から北西へ60㎞ほどのところにあります。駅前にここ中津出身の偉人・福沢諭吉の銅像があります。
中津駅の南口から西へ800mほど行くと水島公園という公園があり、その公園内に「水島銕也生誕地」があります。水島銕也というのは銀行勤務を経て神戸大学の前身である神戸高等商業学校を創設した人物だそうです。
中津駅北口から西へ500mほど行ったところに、村上医家資料館があります。村上家は1640年に医院を開業以来現在に似たるまで医療に携わっており、ここにその医療関係の資料等が残されています。また近くには村上記念病院もあります。
村上医家資料館と村上記念病院の中間くらいに、中津市歴史民俗資料館があります。この建物は国の登録文化財に指定されているそうです。また敷地内には「小幡篤次郎生誕の地」と「小幡英之助生誕の地」の碑があります。小幡篤次郎は3代目の慶應義塾学長、小幡英之助は日本最初の歯科医師だそうで、二人は従妹同士の関係だそうです。つまり資料館はこの2人の生誕の地に建ったということですね。
歴史民俗資料館の少し北に、「藩校 進脩館跡」があります。
ここでは江戸時代後期から幕末にかけ学問・武道などの教育が行われ、上の小幡篤次郎・小幡英之助の他、多くの人材が輩出されたそうです。
中津駅北口から400mほどのところ行くと、赤い壁が印象的な合元寺という寺があります。この寺は黒田官兵衛が建てた寺だそうで、その昔この寺で激しい切り合いがあり壁が血痕だらけになったので、赤壁に塗り替えたそうです。
合元寺から北東へ200mほど行ったところに、小さい土塁のようなものがあります。これは中津城の「おかこい山」というものだそうで、堀に沿ったかたちで築かれた土塁の跡だそうです。このようなおかこい山は中津城の周りにいくつか残っているそうです。
またおかこい山から少し北に行ったところに、大江医家資料館があります。この大江家は中津藩主の御典医だったそうです。ここと言い村上医家資料館と言い、街中にこんな「医家資料館」があるのは珍しいです。蘭学の盛んな中津ならではと言えます。
大江医家資料館から北へ300mほど行ったところに福澤諭吉旧居及び福澤記念館がありますが、その駐車場付近に白石照山記念碑と福澤先生旧宅の説明があります。
福澤諭吉の旧居はここのすぐ傍に残っていますが、ここはその前に福澤家は住んでいた旧宅跡になります。もともと福澤諭吉は大坂の中津藩屋敷で生まれましたが、諭吉が1歳の時に父が急死したため母子6人でここに帰ってきてこの地に住み、その後今も残っている傍の旧居に移り住んだそうです。
そしてその地に白井照山記念碑が立っています。白石照山は中津藩出身の儒学者で、藩の進脩館で学んだ後は江戸に出て昌平坂学問所で学びました。その後中津藩から追放されたもののまた戻り進脩館で教授となり、中津藩の発展に大きく寄与しました。
白石照山は福澤諭吉の師匠とも言われ、その交流は福澤諭吉が中津を出て大坂・江戸に出た後も続いたそうです。
そして中津が日本に誇る偉人・福澤諭吉旧居及び福澤記念館があります。
ちなみに中津市の高校から福澤諭吉が創設した慶應義塾大学に進学した人には、市から奨学金が贈られるそうです。
中津駅から北西へ1kmほどのところの中津川沿いに、中津城があります。
中津城は再建ですが、お堀沿いに黒色の天守閣と櫓が連結しており、なかなかかっこいいです。
中津城の隣に、中津神社と中津大神宮があり、中津大神宮の境内には様々な碑があります。