日光東照宮
JR日光駅から北西へ2.5㎞ほどのところにある日光東照宮は、1617年に徳川家康の墓所として創建。当時西の京都の天皇に対抗するため、家康を東を照らす「東照大権現」として神格化して全国各地に東照宮を創建し、その総本山がここ日光東照宮で、その豪華絢爛な建物群は「日光の社寺」として世界遺産に認定されています。
広い参道を歩き日光東照宮の鳥居をくぐると、まず両サイドに仁王像が立つ立派な表門があります。この門から象や虎など日光東照宮に多く見られる動物が早くも登場します。
表門に向かって左側に日光東照宮デザインの五重の塔があります。この塔は日光東照宮創建当時にはなかったらしく、1650年に福井県の小浜藩主であった酒井忠勝公によって奉納されたものそうです。当時のものは火災で焼失し、今のものは1818年に同藩主である酒井忠進公によって再建されたものだそうです。
表門をくぐると広い境内に出て、参道の右側に三神庫と呼ばれる倉庫があります。この三神庫は上神庫・中神庫・下神庫という倉庫の総称らしく、中にはお祭りで使う馬具や装束類が保管されているそうです。
この上神庫の屋根の下には、狩野探幽が想像で書いたとされる「想像の象」という彫刻があります。
三神庫の向かい側には、ご神馬用の厩である神厩舎があり、この神厩舎に「見ざる・言わざる・聞かざる」で有名な三猿の彫刻があります。この三猿は神厩舎にある人間の一生を表した8つの猿の彫刻の1つであり、「人の悪いことや悪口は見ない、言わない、聞かない」という意味だそうで、三猿は古くはエジプトや中国などにも見られ、どこからか日本に伝わったものだそうです。
そして参道は陽明門へと続きますが、その陽明門の手前に、お参りする前に心身を清めるべしということで御水舎(おみずや)があります。同様の目的で日本全国の神社に手水舎(ちょうずや)がありますが、この手水舎がおそらく日本一豪華だと思われます。
そしていよいよ日光東照宮のシンボルともいえる、おそらく日本一豪華絢爛な門・陽明門に着きます。
白と金を基調としてこれでもかというほど豪華な陽明門。一日中見ても飽きないため「日暮御門」とも言われます。この陽明門にも様々な動物が見られますが、表情がそれぞれに違い、また周りの緑の木々との一体感がより神々しさを感じさせ、見ていて本当に飽きません。
陽明門から左右に延びる彫刻の壁は廻廊(かいろう)と呼ばれ、繊細で色彩豊かな自然・鳥獣が左右に長く生き生きと描かれています。
陽明門の左右にある豪華な建物が鐘楼・鼓楼で、陽明門に向って右側が鐘楼、左側が鼓楼です。
ちなみに陽明門の手前に上から飛び降りるような狛犬を発見。動物の遊び心が満載で、細かく見るとキリがないと思います。
後ろから見た陽明門。ちなみにこの陽明門は8つの柱からなっていますが、そのうち1つの柱が逆さになっているそうで、これは「完成した時から崩壊が始まる」ことから敢えて1つ逆さにしているそうです。深すぎます・・・;
陽明門をくぐって真正面にある唐門。この唐門は中国っぽい人が細かく多く描かれています。この奥に日光東照宮の御本社・拝殿などがあります。
陽明門をくぐって左手にあるのが神輿舎(しんよしゃ)で、お祭りに使う神輿が保管されています(行った時は改修中でした)。この神輿舎にも鮮やかで多くの動物の彫刻が刻まれており、屋根の下には家康の干支である虎が描かれています。
そして陽明門をくぐった右手に、眠り猫で有名な奥宮があります。
奥宮に描かれている眠り猫。そのまんま眠っている猫ですが(笑)、この猫の裏に生き生きと羽ばたく雀が描かれていることから、平和の象徴と言われています。
そして奥宮から、東照宮の奥の奥にある家康の墓に続く道があります。この道が山奥にあって結構長く、とても神聖な感じがします。
奥宮の道の途中にある「東照宮御遺訓」。家康が言ったと言われる「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」の言葉が書かれています。
長い道を行くと、鋳抜門(いぬきもん)が見えてきます。こちらはこれまでの派手な装いではなく、本当のお墓があるだけに重々しい感じがします。
鋳抜門の奥にある宝塔。この宝塔の下に、家康の棺が納められているそうです。