JR日光駅は栃木県の宇都宮駅から伸びるJR日光線の終着駅として、1890年に完成。ご覧のとおりネオ・ルネサンス様式の洋風建築です。
一方こちらはJR日光駅のほぼ隣にある東武日光駅。こちらは埼玉県の東武動物公園駅から伸びる東武日光線の終着駅として、1929年に完成。JR日光駅が洋風建築であるのに対し、こちらは山小屋風の外観になっています。都市圏から日光への足は昔からJRと東武鉄道が凌ぎを削っていた訳ですね。
日光駅から119号線を北西へ1.5㎞ほど行くと、日光の社寺の入口である神橋が見えてきますが、その手前に土佐藩出身で明治期に自由民権運動の指導者であった板垣退助の銅像があります。
幕末の戊辰戦争時、旧政府軍の大鳥圭介らがここ日光の社寺に立てこもっていたところ、新政府軍を率いていた板垣退助が旧政府軍を説得して社寺から出すことに成功し、この日光を戦火から守ったということです。
銅像の台に書かれた「板垣退助」という名前に、「君」が付いているのが気になります(笑)
道路を挟んだ板垣退助君像の前に、南光坊天海というお坊さんの銅像があります。
この人は江戸時代初期に徳川家康に仕えていた僧侶で、家康の政策や江戸の街づくりに僧侶の立場として色々助言をした人物だそうで、この人のお墓が日光の輪王寺慈眼堂にあります。
なおこの人は戦国時代に生き残った明智光秀と同一人物という説もあります。
銅像の先の川に架かっている赤い橋は「神橋」と言われる橋で、日光の社寺群はここから始まります。
神橋を経て日光の社寺へ向かう山道の途中に、もう1人お坊さんの銅像があります。
この人は勝道という奈良~平安時代の僧侶で、徳川家康が日光東照宮を建てるはるか前にここ日光山を開山した人物だそうです。
その後この大きな参道を行くと、日光東照宮へ辿り着きます。