287号線と256号線が交差している角に岐阜公園・岐阜城へと続く門があり、その横に馬に乗った若き日の織田信長の銅像があります。門の後ろの山は金華山と言い、その頂上にわずかに岐阜城が見えます。
門の傍にある若き日の織田信長の銅像。こんな少年の頃から馬に乗って弓を引いていたとしたらやはり末恐ろしい人物です;
門をくぐるとそびえ立つ金華山のふもとに、信長の居館跡や板垣退助の銅像がある岐阜公園があります。
岐阜公園内には信長の居館跡があり、今も発掘調査が行われているようでrす。
公園内には板垣退助君遭難地碑が立っています。1882年当時、自由民権運動の先頭に立っていた板垣退助がここ岐阜の地で講演をした際に暴漢に襲われましたが板垣退助は一命をとりとめ、この時板垣が言ったとされる言葉が「板垣死すとも自由は死せず」だそうです。
遭難の地には、板垣退助の銅像も立っています。
またここは後に戦国武将・山内一豊とその妻・千代が結婚した地であるらしく、公園内にはそれを表す碑が立っています。
園内には昆虫博物館もあり、隣接する洋風建築物の記念昆虫館は市の重要文化財に指定されています。
岐阜公園の北側には岐阜護国神社と、中国風の庭園である日中友好庭園があります。
日中友好公園の付近に「御手洗池」の碑があります。昔ここに伊奈波神社と池があり、この池で手を洗って参拝したことからsの名が付いたらしいですが、関ケ原の戦いの際、当時の岐阜城主で石田軍側であった織田秀信が徳川軍に攻められ敗れた際、大勢の奥女中らがこの池に投身自殺したと伝えられているそうです。