敦賀市は個人的には福井市に次ぐ福井県第2の都市のイメージでしたが、調べてみると人口2位は越前市だそうで、敦賀市は県内人口第3位だそうです。
その中心にあるJR敦賀駅。福井駅と京都駅の間にある主要駅で、JR福井駅からは特急で約30分、JR京都駅からは特急で約1時間くらいで着きます。
駅から気比神宮までは、漫画家・松本零士ゆかりの宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999にまつわる銅像が多く建つ「シンボルロード」が伸びています。
駅から「シンボルロード」を1kmほど行くと、真紅の立派な気比神宮に辿り着きます。
この気比神宮は、702年に北陸道の総鎮守として建てられ、高さ約11mの大鳥居は春日大社(奈良県)・厳島神社(広島県)と並ぶ日本三大木造大鳥居の1つに数えられるそうです。
松尾芭蕉像
また境内には松尾芭蕉の銅像が。芭蕉は奥の細道の旅でこの気比神宮を訪れたそうで、台座にはこの敦賀で詠んだ芭蕉の句「月清し 遊行のもてる 砂の上」が書かれています。芭蕉はこの敦賀の後に、奥の細道結びの地である岐阜県大垣市に向かいます。
気比神宮から更に北へ1,2kmほど行った小高い丘に、南北朝時代・戦国時代の史跡である金ヶ崎城跡があります。
JR敦賀駅から北に2㎞ほども行くともう海で、かつて「欧亜国際連絡列車」の停車駅として賑わった敦賀港があります。
敦賀港から南に300mほど行くと、レトロな建物である敦賀市立博物館があります。この建物はもともと地元の実業家である大和田荘七が創設した大和田銀行本店だった建物だそうです。ちなみに大和田銀行は1945年に三和銀行に吸収合併されました。
その敦賀市立博物館、旧大和田銀行本店前にある大和田銀行創設者の大和田荘七像。繰り返しますが俳優の大和田伸也・大和田獏兄弟は大和田荘七の子孫ですよ(笑)
また博物館から南西に400mほど行くと敦賀西小学校があり、その前に「敦賀城の跡」碑、正確には「敦賀城の跡 敦賀町奉行所・代官所の跡 敦賀県庁の跡」碑があります。
この地は戦国時代は秀吉の部下・大谷吉継の城であった敦賀城、そして関ケ原の戦いで敗北し大谷吉継が自刃した後の江戸時代は小浜藩の敦賀町奉行所・代官所、そして明治初期には敦賀県の県庁が置かれていたそうです。しかし敦賀県はほどなくして滋賀県と石川県に分割され、その後また旧敦賀県を管轄地域とする福井県が誕生しましたが、県庁は敦賀市には戻らなかったそうです。
敦賀西小から北西へ200mほど行ったところに真願寺という寺があります。ここは大谷吉継の居城であった敦賀城の敷地だったそうです。
松原神社
真願寺から西へ川を渡って1㎞ほど行くと、幕末の水戸藩士・天狗党ゆかりの松原神社があります。
松原神社から海側へ行くと、三保の松原(静岡県)・虹の松原(佐賀県)と並んで日本三大松原の1つに数えられる気比の松原が広がっています。
気比の松原が面している敦賀湾。海がとても綺麗です。