大浦天主堂の西隣の丘にあるグラバー園は、幕末の開国後の長崎で活躍した実業家・グラバー氏の住宅跡に広がる野外博物館で、グラバー氏やリンガー氏など当時日本で活躍したヨーロッパの商人の住宅の他、長崎の多くの歴史的建築物が移築されています。
グラバー園は園内全体がオシャレですが、入口にあるエスカレーターから既にオシャレ。
園内の風景。ハイカラな感じで素敵です。
居留地境界石柱と錨(いかり)
「居留地境」と書かれた石柱。これは外国人居留地の境界を示すものだそうです。その横にある錨は三菱長崎造船所で実際に使われていたものだそうです。
旧三菱第2ドックハウス
エスカレーターを上るとすぐある驕奢な建物は、旧三菱第2ドックハウスと呼ばれる建物で、船員が船をドックで修理している間宿泊するための建物だそうで、1972年に三菱造船株式会社が長崎市に寄贈しここグラバー園に移築したそうです。
建物の前には鯉の泳ぐ綺麗な広い池があり、また2階のテラスからは長崎の市街地・港が一望できます。
高島流和砲
小さいですが、長崎出身の幕末の兵学者・高島秋帆の指導により製造された砲もあります。
旧長崎地方裁判所庁舎
この長崎地方裁判所庁舎は1883年に建てられたものだそうです。
旧ウォーカー住宅
ウォーカー商会を設立したウォーカー氏の住宅。
旧自由亭
日本人初の西洋料理店シェフとなった草野丈吉という人のレストラン「自由亭」の建物だそうで、グラバー園に移築される前には検事正官舎としても使われていたそうです。
西洋料理発祥の碑
旧自由亭の前にある西洋料理発祥の碑。
日本最初のアスファルト道路と日本最初のテニスコート
日本最初のアスファルト道路と日本最初のテニスコートの説明版もあります。日本最初のアスファルト道路はグラバー氏の息子・倉場富三郎がつくったらしく、また日本最初のテニスコートは開国後長崎に来た商人のリンガー氏が自宅内につくったそうです。
三浦環の像
三浦環(たまき)というこの人は、1884年生まれの日本初のオペラ歌手で、当時世界的に活躍した方だそうです。
旧オルト住宅
この家も幕末長崎に来たイギリス人商人のオルトという人の住宅だそうです。
旧リンガー住宅
同じく幕末に長崎に来たイギリス商人・リンガー氏の住宅。リンガー氏はもともとグラバー商会の幹部で、その後リンガー商会を設立したそうです。ちなみに今日本全国にある長崎ちゃんぽんの店・リンガーハットという社名は、このリンガーさんからとられたものだそうです(ハットは「小さな家」という意味とのこと)。
旧スチイル記念学校
スチイル記念学校はもともと東山手に1887年に建てられたものだそうで、当時アメリカの教会の外国殿同局長だったスチイル氏という人によって建てられたそうです。
旧グラバー住宅
そしてグラバー園のもともとの主であるグラバー氏の住宅。和洋折衷で素敵な住まいです。