長崎県庁から南へ川を渡ったところに、鎖国時代唯一海外との窓口となっていた出島があります。県庁側から見ると教科書でも見たその扇形がよく分かりますが、現在の出島の周りは県庁との間にある川を除き全て陸地となっています。
出島の入口。史跡としては「出島和蘭商館跡」となっています。
出島内部。レトロな建物や出島の資料館もあり、綺麗に整備されていて面白いです。当時はおそらく日本でここだけ違う空気があり、他とは違う活気があったのでしょう。
入口に水色の階段がある「カピタン部屋」と呼ばれる建物があります。カピタンというのはオランダ商館長のことらしく、ここはそのカピタンの事務所及び住居として使用されていたそうで、中には当時を偲ばせる華奢な部屋が復元されています。
ケンベル・ツュンベリー記念碑
ケンベル・ツュンベリーという人はシーボルトが来る前にここ長崎に来た医者のことで、その功績を称えたシーボルトがここ出島にその記念碑を建てたそうです。
バドミントン伝来之地
日本に初めてバドミントンが伝わった地もここ長崎の出島だそうです。
この大砲は1964年に浦上川河口付近で引き揚げられたものらしく、もともとはオランダ船に搭載されていた本物なんだそうです。
出島内にある当時の出島のミニチュア。当時はこのような扇形でした。
この建物はもともと1878年に英学校として建てられ、1883年に出島聖公会神学校となったそうで、現存する日本最古の神学校の建物だそうです。現在は資料館として利用されています。
この建物は1899年にグラバーの息子・倉場富三郎らにより長崎に在留する外国人と日本人の社交の場として設立した「長崎内外倶楽部」があった建物だそうで、現在は1階はレストラン、2階は資料の展示室となっています。
いろは丸
なお出島付近にある長崎港には、龍馬ら海援隊が乗っていた「いろは丸」が復元され停泊されていました。この長崎港からは軍艦島に行く船も出ています。