長崎県の県庁所在地・長崎市にあるJR長崎駅。長崎駅前から市中にかけては長崎電鉄という路面電車が走っています。
長崎駅前にあるホテルクオーレの前に、熊本藩蔵屋敷跡があります。説明版によると、1647年に長崎港にポルトガル船が来航した際、幕府が西国の各藩を呼び寄せたことにより、長崎市内の各地に各藩の蔵屋敷が建てられたそうです。
長崎駅前から北へ200mほど行ったところに西坂公園という公園があり、そこに「日本二十六聖人殉教地」の碑があります。
この地は1597年、豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、フランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された丘だということです。近隣にはこの日本二十六聖人に関する記念館もあります。
ルイス・フロイスの碑
日本二十六聖人殉教地碑の傍に、ルイス・フロイスの碑があります。ルイス・フロイスは1563年にポルトガルからここ長崎に上陸し、織田信長にも拝謁して近畿地方を中心にキリスト教の布教活動を開始しましたが、その後キリスト教に脅威を覚えた秀吉の禁教令により長崎に戻って亡くなりました。ルイス・フロイスはここ長崎で同じキリスト教徒であったこの二十六聖人について記録した文章を残しています。
この日本二十六聖人殉教地碑のある西坂公園から北へ延びる道は浦上街道と呼ばれているそうで、ここから長崎空港があるあたりの大村まで延びており、江戸時代はかなり賑わっていたそうです。
西坂公園から東へ150mほど行ったところに、本蓮寺というお寺があります。
このお寺の敷地にはもともと日本最初のハンセン病の病院であるサン・ラザロ病院とサン・ジョアン・バブチスタ教会というキリスト教系の建物がありましたが、秀吉期以降の弾圧により失われ、後にこの寺が建てられました。
また幕末には勝海舟が海軍伝習所に通うためここ本蓮寺に約4年間滞在していたとのことです。
福済寺
本蓮寺から南東へ少し歩いたところには福済寺という寺があり、この寺は幕末坂本龍馬が勝海舟に同行して初めて長崎を訪れた際に宿泊した寺だそうです。境内にある銀色の亀の上に立つ大きい観音様が圧倒的です。
福済寺から更に東に歩いたところにある聖福寺では、幕末、土佐藩士・後藤象二郎と紀州藩の茂田一次郎が、日本初の海難事故とされる「いろは丸事件」の談判が行われたそうです。いろは丸は土佐藩坂本龍馬率いる海援隊の船で、岡山県近海で紀州藩の船と衝突、土佐藩は当時まだあまり知られていなかった万国公法を持ち出し、紀州藩から賠償を引き出したそうです。
西園寺公望仮寓跡
聖福寺からもう少し東に行ったところに、西園寺公望仮寓跡の石碑がひっそりと立っています。西園寺公望は後に総理大臣も務めた人物ですが、若いころは長崎に遊学しており、この地に居を構えていたそうです。
聖福寺から更に東に行くと長崎歴史文化博物館があり、その裏に長崎公園という広い公園があります。
長崎公園に、諏訪神社という立派な神社が隣接しています。