中江兆民先生誕生地
高知橋から東へ300mほど行ったところに、中江兆民先生誕生地碑があります。
中江兆民は自由民権運動の指導者で、フランス・ルソーの思想を紹介するなどして「東洋のルソー」と呼ばれ、第1回衆議院議員となりました。
植木枝盛旧邸から南に200mほど行ったところにあるはりまや橋小学校の西側に、永野海軍大将誕生の地碑があります。永野海軍大将というのは明治から昭和にかけての軍人・永野修身(おさみ)という人のことだそうで、日露戦争から第2次世界大戦まで海軍に属して出兵し、連合艦隊司令長官、海軍大臣など海軍の要職を歴任されたそうですが、最終的には東京裁判でA級戦犯容疑をかけれる中巣鴨プリズンで病で亡くなりました。
武市半平太邸跡及び道場跡
永野海軍大将誕生の地碑から更に南へ200mほど行ったところに横堀公園という公園があり、そこに武市半平太邸跡及び道場跡があります。
幕末の土佐勤王党首領として奔走した武市半平太はここに居を構えて剣術の道場を開き、同じ幕末の土佐藩の志士として中岡慎太郎、岡田以蔵などを育てました。
横堀公園から土佐中街道を横切った川沿いに、「北光社移民団出航の地」のモニュメントがあります。
これは明治後、北海道開拓の夢を持っていた坂本龍馬の遺志を継いだ龍馬の甥である坂本直寛氏が北海道開拓のために北光社を設立し、この地から船で北海道を目指し、今の北見市などで開拓を行ったそうです。
開誠館跡
北光社移民団出航の地から川を渡り少し入ったところに東九反田公園という公園があり、そこに「開誠館跡」と「憲政之祖国」という碑が立っています。
ここは幕末土佐藩が富国強兵を目指し建設した開誠館があり、またここで幕末の三傑こと薩摩の西郷隆盛・大久保利通、長州の木戸孝允が会談し、明治後の近代日本について話し合った地であることから「憲政之祖国」碑が立っているそうです。
なおこの開誠館の門が、高知城の近くにある小津高校前にあります。
長岡謙吉顕彰碑
修立社跡碑の近くの幡多倉公園に、長岡謙吉顕彰碑が立っています。長岡謙吉は龍馬が結成した海援隊の文司・再変同隊長で、夕顔丸の中で龍馬が考えた「船中八策」を成文化した人物だそうです。
土佐中街道沿いのバスターミナルの西の端に、河田小龍生誕地の碑が立っています。
河田小龍という人は幕末から明治にかけての画家である一方、米国から帰国したジョン万次郎の取り調べを行ったり、また明治後は京都の街を支えることになる琵琶湖疎水の工事記録画の作成なども行ったそうです。
またバスターミナル前にはよさこい踊りの銅像もあります。
バスターミナルから土佐中街道を西に200ⅿほど行った交差点に、観光名所・はりまや橋があります。
はりまや橋はよさこい節に出てくる橋として有名ですが、見ると結構小さいです(笑)まあ橋自体がモニュメント的な感じです。
はりまや橋界隈は東西に小さな川が流れる遊歩道になっており、ペギー葉山のヒット曲「南国土佐を後にして」の歌詞の碑もありました。