会津若松城から北東へ1kmほど行ったところに、御薬園(おやくえん)という日本庭園があります。
これは歴代会津若松城主の会津松平家の回遊式庭園で、紅葉の季節は特に綺麗です。
建福寺
また会津若松城から南東へ1㎞ほどいったところには建福寺という寺があります。一見何の変哲もない寺ですが、実はこの寺には戊辰戦争で長岡藩の主力として戦い今の福島県只見町で亡くなった河合継之助の骨が一時期埋葬されていたそうです。
寺の北側の墓地にある案内板。この先に河井継之助埋骨遺跡があります。
御薬園から東に600ⅿほど行ったところに愛宕神社があり、その険しい階段を登った先に最後の会津藩主・松平容保の胸像があります。
愛宕神社にある松平容保の胸像。松平容保は会津藩主の養子となった後京都守護職に就任、新選組を配下に置き京都を取り締まり、また戊辰戦争時は最後の会津藩主として新政府軍と戦いました。維新後は日光東照宮の宮司などを務めたそうです。
新選組を従えた京都守護職、そして最後の会津藩主として歴史に名を残していますが、やはりどうしても悲しいイメージが強く、山奥にあるこの胸像もどこか寂しそうな気がします;
愛宕神社の南側には天寧寺という寺があり、そこに新選組隊長・近藤勇の墓があります。
近藤勇は戊辰戦争時は千葉の流山で新政府軍に捕えられ、ここ会津には来ていませんが、京都で斬首刑となった際、その首を誰かが持ち去り、この地に埋めたことからその墓があるそうです。
近藤勇の墓、土方歳三慰霊碑
天寧寺から少し歩いたところにある近藤勇の墓。近藤勇の墓の横には新選組副長・土方歳三の慰霊碑もあります。
土方歳三の慰霊碑の側面。「戦死地 北海道箱館一本木附近」とも書かれています。
天寧寺から南に500ⅿほど行ったところに、家老西郷頼母邸を復元した屋敷や当時の生活を紹介した資料館などからなる会津武家屋敷があります。
会津武家屋敷から東へ400ⅿほど行ったところに、会津藩主松平家墓所があります。
この静かな山の中に、歴代会津藩主、具体的には2代保科正経から9代松平容保までの墓が安置されています。
なお初代の会津藩主・保科正之の墓のみ、猪苗代町の土津神社にあるそうです。