松陰神社には松下村塾や吉田松陰が住んでいた家が保存されており、いわば吉田松陰と幕末長州藩の聖地と言えます。
松陰神社の敷地に入ってすぐ左側にある駐車場の奥に、「薩長土連合密議之處」の碑があります。
1862年、この辺りにあった宿屋に薩摩の田上藤七、長州の久坂玄瑞、土佐の坂本龍馬が一堂に会し国事について語り合ったことからここにこの碑が立っているそうで、ちなみに文字は山口出身の昭和の政治家・岸信介のものだそうです。
「薩長土連合密議之處」の碑の横に、厚東常吉(ことうつねきち)翁という人の胸像があります。
この人は萩市出身の昭和時代の政治家で、この松陰神社の復興に尽力した人物だそうです。
松陰神社境内に入ると、左側に吉田松陰歴史館があります。
吉田松陰歴史館の前にある明治維新胎動之地碑。明治維新はこの地から始まりました。こちらは佐藤栄作元首相の文字だそうです。
そして境内に保存されている松下村塾。松下村塾はもともと1842年に松陰の叔父・玉木文之進が自宅で塾を開いたのが始まりらしく、それを1857年に、当時28歳の松陰が引き継いだそうです。
松下村塾は久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、幕末・明治期に活躍した長州人を多く輩出したことでかなり有名ですが、実際松陰が教えていたのは1年余りだそうです。
ここに保存されている松下村塾は多少改修されたものの当時のままだそうで、その小ささにかなり驚きます。
松下村塾の部屋の中にはここで松陰に学んだ錚々たるメンツの写真が飾られています。
また境内には松陰が野山獄から出た後に暮らした家も保存されています。野山獄を出た後、松陰はこの家で様々な本を読み、やがてそこに多くの若者が集まるようになり、それが松下村塾に発展していったそうです。