四天王寺は遥か昔の飛鳥時代、593年に当時の天皇であった推古天皇、つまり聖徳太子によって建てられた寺です。
聖徳太子が立てた寺は7つあると言われており、ここを除く6つは全て奈良県にあります。
四天王寺の入口の鳥居前には「大日本佛曹最初四天王寺」と書かれた大きな石碑があります。境内には多くの建物がありますが、天災や空襲で焼失したため再建されたものであり、しかしそれでも回廊で四角に囲んだ当時の日本の建築様式は貴重で、境内の建築物の見応えも十分にあります。
境内には「義経よろい掛け松」というのがあります。源義経がこの松に鎧を掛けたのでしょうか。
また境内には「野沢菜原種 旅の起点」の碑というのもあります。
野沢菜と言えば長野の代表的な野菜ですが、江戸時代、長野の寺から大阪に来た住職が「天王寺かぶら」という野菜の種を土産として持って帰り、それを長野で植えて育てたことが野沢菜の起源となっているため、この碑がここに立てられたそうです。