法円坂~森ノ宮界隈

難波宮跡公園

 大阪城の南側の中央大通り沿いに、難波宮跡公園があります。

 難波宮は飛鳥~奈良時代にかけての日本の首都ですが、正確には前期難波宮、後期難波宮と2期に別れるらしく、前期難波宮は「大化改新」後の650年から造営されたもの、後期難波宮は726年から造営されたものだそうです。

難波宮跡公園
難波宮跡公園

 難波宮跡公園には天皇が国の公式行事を行う際に使用したとされる大極殿が復元されています。

兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑

 難波宮跡公園から上町筋を挟んだ西側に、兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑と書かれた大きながあります。

 大村益次郎は長州藩出身の幕末の志士で、戊辰戦争時は総司令官として新政府軍を率いていましたが、1869年に京都で刺客に襲われ重傷を負い、大阪のこの地にあった病院に運ばれましたが手遅れとなり、46歳でこの世を去りました。

 兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑
兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑

太閤下水

 難波宮跡公園から西に650ⅿほど行ったところに、太閤下水見学施設というのがあります。

 太閤下水というのはその名のとおり戦国時代に太閤殿下・豊臣秀吉が大阪を治めていた時に整備した下水施設で、驚くべきことに現在も使われているらしく、地上の窓から今も地下に流れている太閤下水を覗けるようになっています。

太閤下水
太閤下水

越中井

 難波宮跡公園から東に200ⅿほど行ったところに、越中井と書かれた碑があります。

 ここは戦国時代の武将である細川忠興の邸宅があり、越中井というのはその邸宅にあった井戸のことだそうで、絶世の美女と言われた細川ガラシャが自害した地なんだそうです。

 越中井
越中井

細川越中守忠興屋敷跡

 越中井の碑の東側にある細川越中守忠興屋敷跡の碑。

細川越中守忠興屋敷跡
細川越中守忠興屋敷跡

青刻昆布発祥の地

 越中井の碑の南側にある越中公園前には青刻昆布(あおきざみこんぶ)発祥の地という碑が。

 江戸時代にここで昆布加工を行い中国に販売していたらしく、以降昆布加工品は大阪名物として大阪の食文化に多く寄与してきたそうです。

 

 青刻昆布発祥の地
青刻昆布発祥の地

聖マリア大聖堂

 越中公園の南側にある聖マリア大聖堂。ここには細川忠興の妻・細川ガラシャと、戦国時代のキリシタン大名・高山右近の銅像があります。

玉造神社

 またJR玉造駅から北西へ500mほど行ったところに、玉造神社があります。神社内には豊臣秀頼の銅像や玉造資料館などがあります。

玉造神社