南海難波駅の南側にあった大阪球場の跡地に、なんばパークスという大きな商業施設があります。
なんばパークス1階入口の東側に、「難波御蔵・難波新川跡」の碑が立っています。
江戸時代、飢饉に対応するため、この界隈には「難波御蔵」という米蔵があり、またその米の流通をよくするため「難波新川」という堀川が造られていたそうです(今は埋め立てられています。)。
なんばパークスから南西へ500ⅿほど行ったところに、敷津松之宮(しきつまつのみや)という神社があります。
この敷津松之宮は別名大国主神社と呼ばれ、この界隈の地名「大国町」の由来にもなっています。
敷津松之宮の境内には木津勘助という人の銅像が。
この木津勘助という人は戦国~江戸時代に秀吉・家康に仕え、当時大阪の町の開発に尽力した人物だそうです。
敷津松之宮から北西へ200ⅿほど行くと鴎町公園という公園があり、その公園内に折口信夫生誕の地碑があります。
折口信夫は1887年にこの界隈で生まれた民俗学者で、柳田國男の弟子として活躍したそうです。
敷津松之宮から南東へ500ⅿほど行くと、今宮戎神社という神社があります。ここは商売の神様を祀った神社ですが、大阪では若手漫才師のコンテストでダウンタウンも優勝したことのある「今宮えびす子供マンザイ新人コンクール」が開催される場所として有名です。
今宮戎神社から南東へ400ⅿほど行ったところが新世界と言われる界隈であり、その中心に大阪の誇る展望台・通天閣があります。