伊豆急の正式名称は伊豆急行線、伊豆の伊東駅からここ下田までを結ぶ私鉄です。この伊豆急沿線は温泉がたくさんあり、ここ下田もその温泉地のひとつです。また東京からはJRの特急「踊り子」で一本で行くことができます。
下田は幕末、ペリーが来航して日米和親条約締結後、函館とともに開港した港として有名です。
駅を出たら川を挟んですぐ向かいにある寝姿山の頂上へ行くロープウェイがあります。
下田駅から一番大きな通りである「マイマイ通り」を300mほど行くと、坂本龍馬ゆかりの宝福寺と、唐人お吉記念館があります。
マイマイ通りにある下田屋旅館という旅館の前に、「吉田松陰当宿の跡」碑があります。ここはペリー来航の際に密航を企て下田に来た吉田松陰と金子重輔が泊まった宿があったそうです。
マイマイ通りを更に南に行ったところにある中央公民館の前に、「吉田松陰拘禁之跡」があります。ここは密航を企てた吉田松陰と金子重輔が、下田奉行所に捕えられ、ここにあった長命寺という寺で拘禁された地だそうです。
また「吉田松陰拘禁之跡」碑から東へ100mほど行ったところに、平野屋(欠乏所跡)があります。ここは幕末の下田開港後、入港してくる外国人に水や食料などを提供していた場所だそうで、それが開港後の貿易の始まりになったと言われています。
マイマイ通りをずっと南下した突き当たりに、日米和親条約の付帯協定である下田城宅締結の地である了仙寺があります。
了仙寺から西へ200mほど行ったところに、ここ下田が日本で先駆けて開国したことを記念した記念館があります。建物自体もなまこ壁でいい感じです。江戸時代、鎖国を続けていた日本は、幕末この地を開国したこと機に、一気に近代化への道を進んでいくのです。
了仙寺の辺りから川沿いに西にのびている道は「ペリーロード」と呼ばれ、柳の木やレトロな建物が並ぶ、絵になる道となっています。
ペリーロードをずっと東に行くと下田公園がありますが、そのふもとに「ペリー艦隊来航記念碑」があり、ペリーの胸像があります。幕末にペリーが下田に来航した際、ここから上陸したそうです。