平泉駅から北へ1.2㎞ほど行ったところに、源義経最期の地と伝えられる高館義経堂があります。
ここはもともと衣川館(ころもがわのたち)という奥州藤原氏の居館があったところです。
平安時代末期、義経は、兄・源頼朝から逃れるべく、当時東北を治めていた奥州藤原氏の第3代当主・藤原秀衡を頼りここ平泉に落ち延びてきており、また藤原秀衡も、関東を治める頼朝軍に対し、義経を将軍にして対抗しようと考えていました。
しかし頼朝は藤原秀衡に義経を討つよう要求。秀平は最終的には頼朝の言うことを聞き、ここ衣川で義経一派と戦い(衣川の戦い)、ついに義経はここで自害することになるのです。
階段を上ったところにある義経堂。中には義経の木像があります。
芭蕉句碑もあります。義経らの栄枯を詠んだ歌「夏草や 兵どもが 夢の跡」が刻まれています。
義経堂から見えた北上川。曇っているせいか悲しげに見えます。