ということでまず清洲城跡公園。公園の南の川を渡ったところに清洲城がありますが、もともと清洲城はこの公園のあったところにあり、織田信長をはじめとした織田家が歴代城主となっていました。
公園内には信長の銅像や、信長公をお祀りした小社などがあります。
清洲公園内に、織田信長の銅像があります。信長と言えばちょび髭の生えたちょんまげ姿の顔がまず思い浮かびますが、この銅像はそれよりもうちょっと若い印象です。しかしこの銅像、顔・鎧の細部までよくできています。信長の銅像は日本全国にいくつかありますが、私が見た中ではこの信長の銅像が一番カッコいいです。
清洲城と言えば織田家、織田信長のイメージがありますが、もともとは1402年に斯波義重(しばよししげ)という大名が築城したもので、その後織田信長をはじめとした織田家の居城となったようです。
また信長が死去した本能寺の変、羽柴秀吉が明智光秀を討った山崎の戦いの後に、羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の4人の織田家家臣が集まって開かれた「清須会議」も、ここ清洲城で行われました。この清須会議後、秀吉の地位は一気に高まることとなったのです。
清洲城の門の反対側の敷地に、濃姫の銅像があります。濃姫は織田信長の奥さんで、美濃の戦国大名で岐阜城城主であった斉藤道三の娘ですが、どんな人だったかはあまりよく分かっていないようです。
旦那さんの信長の銅像は川を隔てたところにあるため、近いようで遠く、少し切なさを感じます。