東京メトロ南北線の麻布十番駅を降りるとすぐある麻布十番商店街。
麻布は高級住宅街ですが、この麻布十番商店街には下町風の昔ながらの店もあり、そのギャップがいいらしいです。
麻布十番商店街の「永坂更科 布屋太兵衛」の麻布総本店前に、麻布十番の由来が書かれた碑があります。
江戸時代にこの辺りの川を改修するため10の工区に分けた際にここが10番目になったことなどからその地名が付いたと書かれています。
きみちゃん像
また麻布十番商店街には童謡「赤い靴」でお馴染みのきみちゃん像が立っています。
童謡「赤い靴」は悲しい内容で、歌のモデルであるきみちゃんは実際横浜から船に乗ることなく9歳でこの世を去ったとのことですが、そのきみちゃんのいた孤児院がこの麻布界隈にあったことからここに銅像が建てられたそうです。
麻布十番商店街から南へ300mほど行くと、日本で最初にアメリカ公使館が置かれた善福寺があります。
善福寺から西へ500mほど行ったところに、有栖川宮記念公園があります。
有栖川宮記念公園はその名のとおり元皇族の有栖川家の御用地であった土地に作られた公園で、園内には幕末・明治期の皇族であり軍人であった有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の銅像があります。
園内にある有栖川宮熾仁親王像。この銅像はもともと1903年に千代田区にあった参謀本部の正門前に建てられましたが、戦後の都市開発に伴いこの公園に移設されたそうです。
有栖川宮記念公園から南に500mほど行くと、光林寺という寺があります。
この寺には日本に滞在した幕末のアメリカ外交官・ハリスの秘書を務めたオランダ人・ヒュースケンの墓があります。
光林寺の境内にあるヒュースケンの墓。ヒュースケンはオランダ人ながら英語に堪能であったためハリスの秘書になりましたが、赤羽橋界隈で攘夷派の浪士組に切られ、28歳の若さで死去したそうです。
麻布十番界隈から東へ600mほど行ったところにある赤羽橋。幕末、ヒュースケンはここで攘夷派に切られました。
赤羽橋にあるヒュースケン事件の説明版。かなり目立ちません(笑)
麻布十番商店街界隈から麻布通りを北へ行き、飯倉片町の交差点を東へ少し行ったところに、政府の首脳会談が行われることもある外務省の飯倉公館があります。
飯倉公館の横には麻布郵便局が。かなり歴史ある立派な建物で、もともとは逓信省→郵政省の本庁舎として利用されていたそうです。
麻布郵便局から外苑東通りを更に東に行って少し南に入ったところに、日本経度緯度原点の碑があります。
ここにはもともと東京天文台があり、ここの位置に子午環という観測機材が置かれていたことから、この地点が日本経度緯度原点に定められたそうです。
飯倉片町の交差点から北へ少し行ったところにある麻布小学校前に、旧紀州徳川藩屋敷跡の説明版があります。
旧紀州徳川藩屋敷跡碑は赤坂にもありましたが、こちらは赤坂の屋敷を返納した後の次の屋敷になるそうで、ここには日本最初の私立図書館である「南葵(なんき)文庫」や、これまた日本初の本格的な音楽ホールとなる「南葵楽堂」などがあったそうです。
麻布小学校の北側に、横川省三記念公園という小さな公園があります。
横川省三という人は南部盛岡藩出身の明治時代の新聞記者で、日清・日露戦争にも従軍したそうですが、最後は満州のハルピンで銃殺刑に処されたそうです。
横川省三記念公園から更に北に150mほど行ったところに、「日本国憲法草案審議の地」の碑があります。
ここにはもともと外務大臣官邸があり、戦後直後の1946 年、日本国政府と連合国軍総司令部との間で日本国憲法草案について審議された地だそうです。日本の戦後史上結構重要な出来事だと思いますが、うっかり見落としそうなくらい小さな碑です。