中津城は、秀吉によりこの地を与えられた黒田官兵衛が1588年に築城を始めましたが、関ケ原の戦いにより黒田家が福岡市の方に転封して築城が中断、入れ替わりに細川忠興が入城し、1621年に中津城が完成しました。その後細川家の熊本藩転封に伴い小笠原家、そしてその後奥平家が入城します。
城は1877年の西南戦争で一度焼失しますが、1964年に市民らの寄付もあり今のかたちに再建されました。
なお中津城は高松城・今治城とともに日本三大水城に数えられるそうです。
屋根には奥平家の家紋である軍配の模様が施されています。
北側の石垣に積み方が変わる境があります。これは築城中に城主が黒田家から細川家に変わった時の名残だそうです。
またその石垣の境の前に、2014年に放送されたNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」の放送に伴い作られた黒田官兵衛の石像があります。台座には「我、人に媚びず 富貴を望まず」と書かれています。
中津城の北側に二の丸公園があります。
中津城の南西の方に西門があります。
また西門から東に行った南部小学校沿いに、生田門があります。この辺りは江戸時代は三の丸と呼ばれていたそうです。
なお西門の付近に怪しげな?後藤又兵衛屋敷跡がありました。後藤又兵衛は黒田官兵衛をはじめとした黒田家に仕え、その後大坂の陣で豊臣方につき、大阪城五人衆の一人として戦いました。