城山町界隈

 鹿児島市役所の西側に城山という小高い山があり、その界隈は城山町と呼ばれ、ふもとも含め、文化施設や史跡が多くあります。

城山公園

 城山は山全体が公園となっており、何より鹿児島の英雄・西郷隆盛最後の地として有名です。

西郷隆盛終焉の地

 城山公園の洞窟から東に400mほど行ったところに、西郷隆盛終焉の地があります。西郷隆盛はここで最期を迎えました。

西郷隆盛終焉の地
西郷隆盛終焉の地

私学校跡

 西郷隆盛終焉の地から鹿児島医療センターを回って200mほど下ったところに、西郷隆盛が創設した私学校跡があります。明治時代初め、政府を下野し地元鹿児島に戻った西郷隆盛は、若い薩摩藩士を教育する場として、ここに私学校を設立しました。

 この私学校の壁には西南戦争時の無数の弾痕が残り、その壮絶さを物語っています。

私学校跡
私学校跡

鶴丸城跡

 鹿児島医療センターの向かいには大きな石垣に囲まれた敷地があります。これは鶴丸城跡で、江戸時代の薩摩藩主・島津家の居城でした。今当時の建物はほとんど残っていませんが、そもそもこの鶴丸城は築城者である島津家久が「人をもって城と成す」という思想を持っていたため、はじめから天守閣はなかったそうです。

 今この鶴丸城の敷地内には、鹿児島の文化・歴史が学べる黎明館があります。

黎明館
黎明館

七高生久遠の像

 黎明館前には「七高生久遠の像」があります。七高というのは明治時代にあった第七高等学校造士館という官製の高校だそうで、今の鹿児島大学の前身だそうで、後に政治家や社長となる錚々たる人物がここで学んだそうです。

 生徒3名が銅像になっていますが、何か皆賢そうです。

七高生久遠の像
七高生久遠の像

薩摩辞書の碑

 県立図書館の近くに「薩摩辞書の碑」というのもありました。これは幕末に高橋新吉・前田献吉・前田正名という薩摩藩の3人が中国へ行き、薩摩藩用の英和辞書を作成したことを讃え設立されたそうです。

薩摩辞書の碑
薩摩辞書の碑

西郷隆盛像

 そして県立図書館前の10号線沿いの中央公民館前に、西郷隆盛像があります。

 西郷隆盛は鹿児島・東京中心にいくつかありますが、やはりこの地元にある銅像が一番古い感じで趣があって素敵です。

西郷隆盛像
西郷隆盛像

中央公民館

 西郷隆盛像の前にある中央公民館も、レトロでかっこいい建物で、1927年に建てられたそうです。

中央公民館
中央公民館

照国神社

 また西郷隆盛像から西に300mほど行くと、島津家ゆかりの照国神社があります。