小倉城の敷地内にある勝山公園。園内には様々な碑があります。
園内にレンガ造りの入口が残されています。これは旧第十二師団司令部の正門・鉄門跡だそうで、明治時代、ここに陸軍の第十二師団司令部が置かれていました。前述のとおり、当時森鴎外も軍医部長としてここに通っていたそうです。
白洲というのは北九州の小倉沖の地区を指します。江戸時代、この白洲地区で海難が多発していたところ、岩松助左衛門という人が私財をなげうって灯台を建設したそうです。しかし岩松助左衛門は志半ばで死去、その後は明治政府が灯台建設を引き継ぎ、白洲灯台を完成させたそうです。
実際に建てられた白洲灯台は違うデザインのようですが、ここに建てられている塔は、岩松助左衛門の功績を讃え、岩松助左衛門が設計したもともとの白洲灯台をモニュメント化したものだそうです。
1945年8月9日、広島市に次いで長崎市に原爆が投下されましたが、もともとは陸軍の施設があったこの小倉が標的だったそうで、当日の小倉上空は視界が悪かったため、標的地が長崎市に変更されたそうです。
そのようなことがあり、平和祈念碑と長崎から贈られた鐘がここに設置されているとのことです(ただしこの鐘は複製で、本物は市庁舎のホールにあるそうです。)。
一方勝山公園の端に松本清張記念館があります。松本清張は北九州の出身であるため、1998年にこの地に記念館ができました。