この神社の旧称は阿部神社で、歴代の福山藩主が祀られていましたが、戦後「備後護国神社」となり、境内には他の各地にある護国神社と同様、大東亜戦争に関する多くの慰霊碑があります。
福山城内だけでなく、ここ備後護国神社の境内にも、小さいですが阿部正弘像があります。像の説明板には「1854年に日米、日英、日露の和親条約を結び開国し、近代文明国・日本の基礎を作る」と書かれています。
そしてなぜかこの境内に宮本武蔵の腰掛石があります。説明版を見ると、武蔵は大坂夏の陣において福山城初代城主である水野勝成の陣で参陣し、以後親しくなり、武蔵が福山城を訪れた際に当時の屋敷の庭園にあったこの庭石に腰を掛けたとのことです。石の下の台には「武蔵瞑想石」と書かれています。ただの庭石がそんな伝説を帯びて今まで残っていることがすごいです;