鹿島藩蔵屋敷・佐賀藩深堀鍋島家屋敷跡
長崎港沿いの大通りにある長崎電鉄五島町駅の近くに、鹿島藩蔵屋敷・佐賀藩深堀鍋島家屋敷跡の説明版があります。鹿島藩は佐賀県の支藩らしいです。
後藤象二郎邸跡
また五島町駅から山側へ200mほど行くと長崎テレビ本社があり、その前に土佐藩士・後藤象二郎邸跡があります。石碑の説明によると後藤象二郎が出た後は岩崎弥太郎が三菱倶楽部の所長宅として利用したらしいです。
後藤象二郎邸から東へ200mほど行った長野市立図書館の前に唐通事会所跡、活版伝習所跡があります。
「唐通事」というのは中国語の通訳のことで、その事務所がここにあったようです。
また活版伝習所は、長崎出身の活版印刷の父こと本木昌造が造った伝習所だそうです。
新町活版所跡
長崎市立図書館からまたちょっと東に行くと長崎県市町村職員共済組合会館があり、その前に新町活版所跡があります。ここは院大活版印刷発祥の地で、図書館前にある活版伝習所と同じく本木昌造が設立したとのことです。
新町活版所跡から少し南に行くと長崎地方法務局があり、その前に小曾根邸の跡碑があります。
小曾根家というのは幕末の長崎の豪商で、勝海舟や坂本龍馬とも親交があり、坂本龍馬の亀山社中設立の際も援助をしたそうです。また龍馬と同じ土佐藩士・近藤長次郎が自刃した場所でもあります。
お龍さんと月琴の像
同じ長崎地方法務局の敷地内に、「お龍さんと月琴」という金の銅像があります。お龍さんというのは坂本龍馬の奥さんで、龍馬と鹿児島に新港旅行に行った後にここに居を構え、月琴を楽しんだそうです。
南蛮船来航の波止場跡碑
長崎県庁の西側の角に、南蛮船来航の波止場跡碑があります。江戸時代ここは波止場で、ポルトガル船などがよく来航した地だったそうです。
なおこの上ったところにある長崎県庁には、「イエズス会本部・奉行所西役所・海軍伝習所跡碑」があります。海軍伝習所には、幕末、勝海舟や五代友厚や中島三郎など、その後の日本に影響を及ぼす多くの人物が通っていたそうです。