長崎公園は長崎県最古の公園らしく、歴史ある公園だけに長崎ゆかりの偉人の銅像が多く建っています。
園内にある長崎甚左衛門像。長崎甚左衛門は戦国時代のキリシタン大名で、秀吉が来るまで大村純忠とともにここ長崎県を治め、長崎の発展に大いに貢献した人物だそうです。ただ長崎県と名字の「長崎」の関係はよく分かりません;
本木昌造像
「本木昌造」という人の銅像もあります。この人は江戸時代の長崎出身の人物で、日本の活版印刷の先駆者なんだそうです。
松田源五郎の胸像。松田源五郎という人は明治時代の長崎出身の実業家・国会議員で、長崎の地銀である十八銀行や、長崎新聞の創刊に尽力した人物だそうです。
杉亨二像
杉亨二(すぎこうじ)という人の胸像もあります。杉亨二は江戸から大正期にかけての長崎出身の統計学者・官僚で、江渡で福澤諭吉が創設した慶應義塾の前身である蘭学校や幕府の教育機関・蕃書調所で教鞭をとる一方、また今の総務省統計局長にあたる役職にも就任し、日本初の統計書を編成するなど「日本近代統計の祖」とも呼ばれているそうです。
上野彦馬像
長崎公園の数ある胸像の中で若干豪華になっている上野彦馬の胸像。上野彦馬は幕末の長崎出身の写真家で、坂本龍馬の写真を撮った人物として有名です。高知・桂浜に立つ坂本龍馬像も、この上野彦馬が長崎で撮った写真の姿を銅像化したものと考えられます。
田口長治郎像
田口長治郎という人の胸像。この人は明治から昭和にかけての長崎出身の国会議員の方だそうです。
西岡竹次郎像
西岡竹次郎という人はこれまた長崎出身の政治家で、戦前は国会議員、戦後は長崎県知事として長崎の発展に尽力した人物だそうです。
シーボルト記念碑とツュンベリー記念碑
シーボルトはドイツ出身の医師・植物学者で、幕末長崎に上陸して蘭学を教えるための鳴滝塾を開設、幕末の日本に多大な影響を及ぼし、またヨーロッパに帰国後は日本の文化を広く紹介しました。
またツュンベリーも出身はスェーデンながらシーボルトと同じく医師・植物学者で、シーボルトと同じく幕末来日して出島のオランダ商館付医師として赴任し、江戸などにも行き日本文化の研究なども行ったとのことです。