この石田会館は石田三成の屋敷跡に建っており、敷地内には石田三成の出生地の碑や銅像があります。
石田会館に入ってすぐある石田三成公屋敷跡の碑。
奥にある石田三成の出生地の碑。石田三成はここで生まれました。
出生地碑の傍には三成の銅像があります。彦根市の佐和山城のふもとの龍潭寺にある三成の銅像然り、三成の銅像はなぜか坊主姿ですね。
三成一族と家臣の供養塔もあります。
ここに刻まれている歌は三成の自筆による歌らしく、「残紅葉 散り残る紅葉はことにいとおしき秋の名残はこればかりぞと 三成」と書かれています。
三成辞世の歌もありました。「筑摩江や 蘆間に燈す かがり火と ともに消えゆく 我身なりけり」と刻まれています。悲しい歌です。
「関ヶ原軍記」を読んだ西郷隆盛の詩が刻まれた碑もありました。ここで出てくる「水藩先哲」というのは水戸藩の水戸黄門こと水戸光圀のことで、光圀は「大日本史」で「三成は主君に義を尽くした立派な武士であり、徳川家の敵だからといって悪く言ってはならない」と述べており、これを指して西郷隆盛は「勝敗は時の運、三成の志については水戸光圀がすでに正論を述べている」と詠んでいます。