緑広がる川中島古戦場史跡公園。この公園は川中島の戦いの舞台の地として有名ですが、実は入口には信州が生んだ幕末の奇才・佐久間象山の銅像があります。
公園に入ったらすぐ目につく佐久間象山先生の像。台座の上には地球儀と本が置かれています。台座の後ろに「知有繋五世界しめせ象山の志」と書かれています。幕末の日本における佐久間象山の存在・思想が志士たちに与えた影響は大きく、そのような大偉人が松代藩という小藩から出てきたことがすごいです。
佐久間象山先生を右目に見て北へ行くと「八幡社」という神社があり、その界隈に川中島の戦いの合戦図や史跡が多くあります。
首塚
公園にある首塚。この首塚は武田方の海津城主・高坂弾正という人が激戦場となったこの辺り一帯の戦死者の遺体を敵味方なく集めて手厚く葬った塚だそうです。
ちなみにこれを知った上杉謙信は大変感激し、後に塩不足に悩む武田方に対して塩を送ったことから、「敵に塩を送る」という言葉が生まれたそうです。
武田信玄・上杉謙信像
そして八幡原史跡公園の象徴である武田信玄と上杉謙信との一騎打ちの像。かなりかっちょいい銅像です。実際このようなシーンがあったかどうかはよく分かりませんが、この2人はこの川中島で5回戦い、結局決着はつかなかったそうです。
執念の石
銅像の傍にある「執念の石」。この石には穴があいており、説明を読むと上杉謙信を取り逃がした武田方の原大隅という人間が信玄を助けた際に謙信を取り逃がしてしまい、その悔しさで傍にあったこの石を槍で突き通したそうです。
三太刀七太刀之跡
三太刀七太刀(さんたちななたち)というのは、信玄と謙信の一騎打ちの際、謙信が馬で信玄に3度切り付け、それを信玄が軍配で受け止めたものの、軍配には刀の傷が7つあったことが由来だそうです。