はりまや橋から川沿いの小道を西へ行くと中央公園があり、そこに立志社跡の碑があります。
立志社は明治初期に板垣退助らが始めた自由民権運動の中心となった機関で、石碑には「自由は土佐の山間より出ず」と書かれています。
中央公園から更に西に200ⅿほどのところに今度は帯屋町公園というのがあり、そこにはこれまた自由民権運動を行ってきた機関の1つである回天社跡の碑が立っています。
中央公園から北に行くと、東西に高知城の追手門まで続く追手筋という広い道があり、ここでは朝市も開かれ賑やかです。
吉田東洋先生殉難の地
追手筋沿いにある図書館(当時は建設中)前に、吉田東洋先生殉難の地碑があります。
吉田東洋先生は幕末に土佐藩主・山内容堂に抜擢され藩政改革を行うなどしましたが、それが武市半平太率いる土佐勤王党の反感を買い、この地で暗殺されました。
また追手筋沿いには高知の台所・ひろめ市場があります。ここではカツオのたたきをはじめ高知の美味しい食べ物が、おいしいお酒とともにひととおり味わうことができるお勧めのスポットです。個人的には毎日ここに来ることのできるこの界隈の人が羨ましいです(笑)
武市瑞山先生殉節の地
ひろめ市場の商店街側の方に、武市瑞山先生殉節の地碑があります。
武市瑞山こと武市半平太は、吉田東洋を暗殺するなど土佐藩内において尊王攘夷の派閥を作ることに成功しましたが、土佐藩主・山内容堂に疑いをかけられ、この地で切腹したそうです。
追手筋沿いの土佐女子中学高校前に、教授館跡の碑があります。
この教授館は土佐藩第8代藩主である山内豊敷(とよのぶ)が建てた藩校だそうです。
同じく土佐女子中学高校まえの高知城寄りのところに、山内容堂公誕生の地碑があります。